ひろしのあの町あの家

初めてなのに懐かしい。そんな古い町や家が好きです。

カテゴリ: 茨城県

イメージ 1


結城には以前から1度、行ってみたいと思っていました。
大学の時、結城出身の友人がいました。寮にいた彼が家に遊びに来ると、母が料理で歓待してくれました。今にして思えば、母の実家も茨城で、友人の方言に故郷を重ねていたのかもしれません。
大学紛争のドサクサで卒業後、彼とも疎遠になったまま。友人に繋がる結城は、こんな店の残る静かなで町でした。

https://art.blogmura.com/watercolors/
ブログ村ランキング応援の一押し、お願いします。

イメージ 1


9月、青春18きっぷで、行田、安中、佐野、結城の1泊2日の旅です。相変わらずの急ぎ足で、絵になる家を求めて歩き回りました。
帰りの電車の古河駅停車のアナウンスを聞いて、予定外の下車。古河は以前にも来ましたが、今回の旅行では1枚もスケッチをしていないので、この町でと。
暑い時期のスケッチは、対象より座るところ優先です。町をひと回りし、日陰で落ち着く場所を発見。絵は篆刻美術館です。

https://art.blogmura.com/watercolors/
ブログ村ランキング応援の一押し、お願いします。

イメージ 1

 
 先週は、旅行に出かけていて、2週間ぶりのアップです。
 この絵は、前回に引き続き常陸太田、鯨が丘にあるヨネビシ醤油です。土蔵造りと崖のコンクリート法枠の組み合わせが面白くて描きました。
 ヨネビシ醤油は1800年の創業で、1867年のパリ万博に出品し銅賞をもらったそうです。美術工芸品ならわかりますが、青い目の人たちが、何をどうして醤油の味に「セ ボン」といってくれたのでしょうか。
 ショーウインドウには、なぜか歴代の順天堂院長の写真が飾ってあります。調べてみると、順天堂をつくった佐藤泰然から3代目が、この家から養子に行った進君だったのです。進君は、明治政府の公式旅券第一号を取得してベルリン大学へ留学、東洋人として初めて医学博士となった人だそうです。
 常陸太田に向かう列車の中で、75歳のおじさんが太田のことを色々話をしてくれました。「ここからは結構、偉い人が出ているのだよ」といった中に、ヨネビシ醤油の進君も当然はいっていたのでしょう。
 
https://art.blogmura.com/watercolors/
ブログ村 ひろしの今のランキングは? 

イメージ 1

 
 旅行前、地図を見て、五浦から常陸太田へは、途中日立電鉄を使おうと考えました。しかし、ネットで時刻表を探しても出てこないのです。地図には線路も駅名も載っているのに。そうなのです。日立電鉄は2005年に廃線となっていたのです。ちなみにぼくの地図は1996年版でした。

 JR常陸太田駅と道路を挟んだ向かいに、旧日立電鉄の常北太田駅跡があります。今はバスの発着所となっている駅舎。裏側に回って昔のホームらしきところに立つと、線路に敷かれていた砕石だけが残っています。顔を上げ、その正面に見えたのがこの建物です。
 日立電鉄全盛の頃は、駅も賑わい、駅前のこのモダンな建物も輝いていたのでしょう。夏の日差しの中で、この静かな風景を見ていたら、ちょっと寂しい気持ちになりました。

https://art.blogmura.com/watercolors/
ブログ村 ひろしの今のランキングは? 

イメージ 1

 
 先日、北茨城へ行ってきました。1日目は岡倉天心の六角堂のある五浦(いづら)です。大観、春草たちが創作活動を始めた地で、大家たちにあやかりたくて岡倉天心の墓までお参りしてしまいました。
 2日目はローカルな水郡線に乗って水戸から常陸太田へ。そのあと列車とバスの時間を気にしながら「袋田の滝」も駆け足で回ってきました。

 絵の題材として期待していたのは常陸太田。ここは、歴史のある古い町で、期待通りの雰囲気がありました。
 田んぼに囲まれたこの町は丘の上にあって、その丘がちょうど鯨に似ていたので、人はいつからか鯨ヶ丘と呼んだそうな。まわりには、いくつもの急な坂道があってのう、村人は荷物を運ぶのに、たいそう苦労しとったんじゃ…。♪いーいな いいな にんげんっていーな…♪
 この絵の坂道は「十王坂」またの名を「だいこん坂」というそうです。下の町並みも見たかったけれど、炎天下、帰りの上り坂の苦労を考えたら、あっさりあきらめました。

https://art.blogmura.com/watercolors/
ブログ村 ひろしの今のランキングは?
  

↑このページのトップヘ